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地域イメージの分析
1―1.神戸市のイメージ

 [かつてのイメージ]

・神戸市は、いつも若い女性観光客が多い。しかし、昔からイメージの良い街で、観光客が多かったわけではない。関西といえば、(今でもそうだが)京都@奈良が定番であった。

・神戸市は、みなとまちに付き物の暴力団がはびこる街で、戦後から経済成長期にかけては、犯罪の街としてのイメージが強かった。小汚い船が着いて、一般の人は水辺に近寄れないようなまちで、三宮周辺も猥雑なまちであった。小説の世界でも、港湾業界をバックにした暴力団、麻薬@密輸、殺人などを描くものが多かった。(井上靖「三宮炎上」、野坂昭如「火垂の墓」、五味康祐「麻薬三号」、陳舜臣「枯草の根」など)

              [戦後の神戸市をとりまく社会変化とイメージの変遷]

時期

社会@経済状況

想像されるイメージ

戦後復興期

1945〜55年

戦後の窮乏と混乱の時代
市場の拡大と復興
産業経済の復興

暴力と犯罪の街
米軍の進駐
闇市

経済成長期

1956〜73年

経済成長と公害問題噴出
コンテナ化対応と開発事業
車など高速時代への道路網整備
食品コンビナート等港湾関連産業の進展

活力のある街
暴力と犯罪の街
スモッグの街

安定成長期

1974〜81年

石油ショック
生活環境重視、公園、計画的な住宅開発
工場流出、経済基盤の低下
新産業への基盤づくり
ポートアイランドと内陸開発

都市経営に優れた街
美しい街

安定成長期

1982〜現在

六甲アイランド
ウォータフロントの再開発
都市環境の重視、高規格な街づくり
第二次産業から第三次産業へのシフト

美しい街
オシャレな街
ファッションの街

資料)桜井誠一「神戸 −そのイメージと変遷−」(財団法人神戸都市問題研究所「都市政策 1993.7」)

[都市開発プロジェクト]

・東京オリンピックの後、日本が国際社会の一員として認められ、国内の各地域も国際化を標榜することでイメージアップを図ることが始まった。「国際都市=みなとまち」はイメージとしてつながるため、神戸市は、国際都市に向けてのプロジェクトを次々と実行していった。

・港を活かした新しい国際都市の形成をめざして、東京オリンピックの2年後、1966年、人工島の建設に着手した。山を削って高台のニュータウンを整備し、その土砂を使って、ポートアイランドの埋立を始めたのである。1972年には、六甲アイランドの建設に着手した。

・1980年以降はプロジェクトの目白押しとなる。1981年にポートアイランドのまち開きとしてポートピアを開幕。見本市会場、国際会議場、大規模シティホテルを整備した。1985年には山を削ってつくった総合運動施設を中心にユニバーシアード神戸大会を開催、80年代終わり頃のバブル期には民活方式で六甲アイランドを複合都市、ファッション都市としてまち開きをした。

・さらに、神戸駅の海側の操車場跡地を再開発して、ハーバーランドの建設に着手、90年代になって、水辺を活かした商業施設群や高級シティホテルが開業した。この間にポートアイランドの沖で第二期埋立事業が始まっている。


[異人館]

・神戸といえば「異人館」と連想されるが、実際には、異人館通りが注目されたのは、NHKの朝の連続テレビ小説で風見鶏が紹介(1977年)されてからである。その後、市が洋館を買い取って公開したり、市の観光ネットワークに組み入れたり、舗道を整備するなどのプロジェクトを次々と展開していった。注目を集め出すと、後は自然に、著名な建築家(安藤忠雄氏など)が設計した商業@飲食ビルや美術館などが立地し、さらに人が集まるようになったのである。


[夜景]

・夜景も神戸の象徴の一つである。基本的に、自然的条件(山が海岸線に迫っている地形)が整っているのであるが、それを活かして積極的に売り物にしている。

・自然条件が揃っている街はたくさんあるが、それを作為的にアピールすることが必要である。神戸では、夜景のポイントとなるもの(真っ赤に浮き上がるポートタワー、山に浮き出る市のマークなど)、夜景を見ることができる場所(ロープウェイ、高層ホテル、展望台など)を戦略的に整備し、 "1,000万ドルの夜景" として売り出した。



[神戸ワイン]

・山梨のようにブドウもとれないのに、神戸ワインが売り出されている。農水省が施策の展開先を探しているのに目を付けて、農業公園(中身は飲食施設が中心)をつくった。そして、公園の建設に合わせて、神戸→ハイカラ→洋食→ワインと連想させて商品化した典型的なイメージ先行商品である。


[企業誘致]

・このように次々とプロジェクトを展開することによって、新しいまちをつくって人々を誘い、さらに何か新しいことが動いていることを見せて、また来たくなるような仕掛けができあがる。

・これは、相手が観光客だけに限らない。むしろ観光客よりも、企業の誘導が主眼にあると考えられる。人々が集まれば、それだけでビジネスチャンスが生まれ、商業施設やホテルなどの立地が進む。まちのイメージが高まれば、企業の進出も進む。企業が支店や営業所を配置する場合に、当然、営業範囲などに応じた最適な立地場所があるが、複数の候補がある場合には、人に注目され、また、リクルートの面でもメリットがあるイメージの高い都市を選択する。

・さらに、田崎真珠、ワールド(いずれも1959年に個人営業で始まった企業)やアシックスなど神戸発祥のファッショナブルな大企業が立派な本社ビルを構える(ポートアイランド)ことにより、ファッショナブルなイメージが高まった。そして、ファッションタウンとして展開(六甲アイランド)させ、ファッション関係の企業を誘導したのである。神戸市の衣服卸売業年間販売額は、この20年間で7.3倍になった。政令指定都市の中では最も高い伸び率である。人口当たりの販売額も、大阪市、東京都、名古屋市についで第4位である。

[神戸市のイメージづくり]

 以上のように、神戸市においては、連続したプロジェクトの打ち出しがイメージを高めていったと考えられる。「みなとまち」のイメージをうまく活用し、形にしていったことが成功の要因である。いつも何かが動いていて、まちに活力があるように感じられるようにしたこと、神戸=ファッションというイメージを具現化していったことが、企業の立地@投資の誘導に役立っている。(→つづく)

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